インガノックの魅力を語るのは非常に難しい。ライター桜井光から紡がれる世界観とそれを彩る用語はあまりに広大で途方に暮れてしまう。大石竜子の描くグラフィックは童話然とした線の薄さ、配色の鮮やかさ、素地の妖しい図面と絵が交じり合う独特の雰囲気はどこか気分を落ち着かなくさせる。BGMの主旋律は物悲しいリュートのように爪弾かれ、幻想がかった霧を思わせる。
ひとつひとつを語る事は出来ない。全ての境界線は曖昧なままで、雨に溶けていくような頼りなさが支えあった結果が異形都市『赫炎のインガノック』の魅力であるとしか語れない。
日が照らすべきインガノックは霧に囲われて。日の代わりにそぼ振る雨に都市は濡れ、蒸気機関の創る茫洋とした光が一日をすべからく映す。都市は眠らない。朝を知らせる小鳥はいなくて。人いきれと雑踏とざわめきで朝も夜も満たされる。
王によって、光を求めるかのように積み込まれた都市の下で。トカゲの頭を持った男も。鳥のような羽を持った女も。防護服に包まれた性別も分からぬ人も。それぞれがそれぞれの毎日を、露天商を営み、男に体を売り、命を奪いながら生きている。誰かの思惑を裏切り裏切られて。それは古くなった影絵ように無慈悲で。それが異形都市インガノック。
そんな中で人のかたちを失った人たちは生きていく。蛇の姿をした阿片窟のアリサ・グレッグ。亀の年寄り、故買屋のスタニスワフ。体を蝕まれつつある、機関工場の丁稚のパル、ルポ、ポルン。そうした様々な人間たちを描く事によって、インガノックという”都市”の人いきれすらも表現していく。例え、テキストに描かれなくとも、背景に現れなくとも、歩いている人たちすら想像をさせてくれる。路地裏で泣き崩れている影だとか、街角に立つ娼婦だとか。実際に見えなくとも確かにプレイヤーの中にそういった人びとが心の片隅に息づく。それはあたかも初めて訪れた外国の夜の風景を思わせるようで。人の流れ、街角の光、運河のせせらぎ、そういった”異国”の空気感をもたらしてくれる。
シナリオ開始時はギーの目を通して灰色に見えた景色も、キーアを得て、アティがひょっこりとに顔を出し、そしてなにより数多くに人々に接していくうちに眩いほどに美しく映るようになる。プレイ後にも何度も身を浸したくなる作品。それが『赫炎のインガノック』である。
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